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第24回コラム
「技術者が思う日本語のあいまいさと論理」

創造技術専攻 教授 橋本洋志

 大学生用テキスト「図解コンピュータ概論(ハードウェア編、ソフトウェア・通信ネットワーク編)、オーム社」を執筆しているとき、いかに、カタカナ用語が多いかを痛感した。この要因として、コンピュータ分野では新しい概念を表すのに適する日本語がないため、英語をそのまま音訳したことが挙げられる。例えば、bit, modem は英語としての造語、また、channel, interfaceなどは古くからある単語ではあるが、コンピュータ工学の分野で新たな概念が定義された。これらは、現在、カタカナ表現されている。上記のカタカナ用語は定義がはっきりしている。これは、物体として確立しており、その定義(用途、仕様)がはっきりしているためである。

 しかしながら、カタカナ用語は時としてあいまいなイメージしか伝えないことが多い。例えば、“グッドバイ”は、多分、単にさようならの意味しか意識されていないであろう。ちなみに、日本語の“さようなら”は、「左様ならば」の「ば」が略されたもので、現在で別れ際に言う「じゃあ、そういうことで」のようなニュアンスを有する。話をグッドバイに戻すと、この本来の意味が、”Good bye: God be with you”の略語で、神があなたとともにいますように、という祈りの気持ちが込められている。この意味を意識してグッドバイを声に発している日本人は何人いるのであろうか? これに類似したものとして、“システム”、“プライバシー”、“コンペティション”というカタカナ用語の正確な定義をどれくらいの人が知っている上で使っているのであろうか? このように、カタカナ用語はあいまいなままで用いられていることが多い。

 日本語はカタカナ表現のみならず、日本語そのものがあいまい表現を認めている。そのため、以前、国際学会で会ったドイツ人が日本語のあいまい性について次のように述べた。「言語はツールであり、意思伝達をするのに論理だった表現、体系だった表現が重要である。しかし、日本語はあいまいな情報しか表現できないので、日本人は論理だった表現・伝達ができないであろう」。

 言葉がなぜ存在するか? ある人の考えを他の人に伝達する(情報の授受)ために他なりません。ある人の考えは頭の中にあり、これはイメージとして持たれているため直接見ることはできません。このイメージをなるべく正確に伝達するには、厳密に定義された言葉を論理的に組み立てて発するしか手立てがありません。

 あいまい表現の例として
理髪店に行って「頭を刈って下さい」⇒頭を鎌で刈り取ることか?(髪を刈るのでは)
ホームランを打つ⇒ホームランというボールを打ったのか?(ボールを打ったらホームランになった)

 和食屋で料理は何になさいますか?の問に「私はうなぎ」と言った⇒直訳では"I am an eel"、私はウナギ人間だ!
などなどのように、日本語はあいまいさを含んでいるため、上記のようなあいまいさが生じます.

 また、若い人の表現で多く見受けられるあいまい表現として次をあげます。誤差がちょっと出ました(どれくらい? スプーン一杯分、ドラム缶一缶分?)この式は正しいのか?という問に、「多分、いいと思います」(多分とは?また、思うのは誰でも勝手にできることで主観が入り過ぎ)

 などなど。さらに、日本語独特のカタカナの言い回しがあり、意味不明の言語が飛び回っています.例えば、リストラ(首きり)⇒restructure(組織再構成、時代の錯誤か)などです。

 また、日本では、カタカナにすることにより、真の姿をぼやかして、軟らかく柔らかく、ごまかそう、という姿勢が見受けられることがあります。この姿勢に惑わされると、物事の本質を見失うことは明らかです。

 しかしながら、日本語でも注意深く用いれば論理表現・体系だった表現はもちろん可能です。その上で、あいまいで情緒的な意思伝達も行えるのです。この点で、ドイツ語や英語に優る言語といっても良いでしょう。

 最後に、(異分野、異文化の)人によって、あなたの発する言葉の受け取り方異ならないような表現スキルを身につけてもらえることを祈りつつ、最後に日本人の心意気を表す良い言葉を挙げて、日本語に賛辞を送って終わりたいと思います。

●野村万作氏(能楽師、1999年6月)
父から教わった芸をそのまま引き継いだら、それは万作の芸では、ありません。父から教わった芸の基本を引き継いでも、それに万作の芸を加えてこそ”万作の芸”と自覚しています。
私のコメント:野村氏のこの言葉で、父を教師、芸を学問、に置き換えて、自分自身にこの言葉を問いてみよう.能や狂言には修・破・離(しゅ、は、り、と読む)という原則がある。これは、次の意味である。
修 原理原則を修得する段階
破 原理原則の殻を破って、原理原則に自分独自の芸を加味する段階
離 現在の境遇から離れて、自分独自の境地を開拓する段階

●いっこく堂氏(腹話術師、2000年1月)
技(わざ)は聴衆から磨かれるもの。しかし、聴衆をさらに感動させるのものは心。この心は、聴衆からでなく、自分で磨くもの.聴衆から心を洗われることがあっても技(わざ)に溺れる事なかれ。

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