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第44回コラム
「デザイン力をモノづくりに活かす「地問地答」」

創造技術専攻 教授 國澤 好衛

デザイン力をモノづくりに活かす「地問地答」

 実のところ、デザインの力を中小製造業の商品力向上に活かす試みは、実用品の美化を目的として既に明治後期に始まっていた。※1 その後、しばらくの時を経て、日本の優れた工芸美術の伝統を日用品に展開することの重要性が理解され、工芸を産業的見地から振興し、地域の中小工業の競争の向上を図ることを目的に、昭和3年(1928 年)に当時の商工省に工芸指導所が設置され、本格的に始動することになる。※2

 初代所長の国井喜太郎氏は、「生活必需品として用と美の両面を完備し、その普遍化は人生生活の向上に資し、工芸の発達はやがて、社会的思想方面に甚大の影響を及ぼすことは言うまでもない」※3と述べている。そして、工芸を「人間生活の用に応じ実用上の要件を満たすと共に人間の本 能的欲求たる美的感情に訴へんとする生産活動」とし、さらに工芸は工業に包含されるものであり、「工業品が美化せられ工芸品化せられることによって実用条件と美的要素が渾然と融和統合して益々其の物の商品価値を高める」※4と捉えている。

 こうした活動は、今日の産業デザインの姿と同様であり、商品の改善研究・開発、技術指導などを通じて中小工業の行き詰まり打開に取り組んだのである。具体的には、当時の粗製乱造と指摘された日用品の品質改善を実用面と審美的側面から目指したものである。つまり、初期のデザイン力 活用の試みでは、既存製品の商品性の向上と地域未利用資源の活用などに力点を置いたものだったと言える。

 これ以降今日に至るデザイン力活用の取り組みは、そのほとんどが初期の力点に沿って進められ、多くの地場産業の振興などに貢献している。この多くは、シーズを起点に用途開発を進めるもので、デザインの力を形や色に関わる審美的な観点と実用性を向上させるための純粋機能的な改良をサプライサイド(供給者側)から促すものである。

 しかしながら、前述の取り組みは、製品の色や形に関わる審美的な問題や、製品をエルゴノミクスの視点から見直すための解答力をデザインの力の本質として利用するものである。これに対し、デザインの力とは、本来、生活者の目線から身の回りにあるさまざまな課題を発見し、その課題に対して未来を予感させる、生活に新しい意味を与える解答を創造すること。そして、それを可視化し、変革を促すこと。さらに、その意味をステークホルダーに正しく理解してもらうために上手にコミュニケーションすることなど多くの力を含むものである。

 こうした本来の視点から、デザインの力を中小製造業の商品力向上に活かす試みが始まっている。 これは、従前のデザイン力をサプライサイドから活用する取り組みを、デマンドサイド(需要者側) からのプロセスに転換することを可能とするものである。このデマンドサイドのプロセスとは、デザインの本質である身近な問題を発見することを起点にして、それをエレガントに解決する力を利用しようとするものである。

 この身近に存在する課題をもとにデマンドサイドが期待する価値を見つけ出し、中小製造業の商品開発を誘導するプロセスを新たなモノづくり手法としてモでル化し、展開していくことが求められている。とりわけ、都市部の中小製造業にとっては、新たな価値を求めるユーザーが身近に存在するわけで、彼らや彼らを取り巻く環境が抱えている課題は、まさに商品開発の起点となるものであるからである。さらに、ここで生み出されるソリューションは、都市部における共通の課題の解決策として広く有効なものともなるはずである。

 そこで、このデザイン力を活用したモノづくりモデルを、地域の課題を掘り起こし、それを地域の資源で解決していく手法として「地問地答」と命名し、モデル化を試みている。「地問地答」モデルは、地域の問題を地域のリソースを利用して解決するというコンセプトを表現した造語である。そして、デザインの力を活用しながら、地域のニーズを起点に地域企業が商品開発に取り組む試みであり、また同時に都市に共通する課題の解決策を模索する試みともなるものである。

※1 日本のインダストリアルデザインの歩み 豊口克平(工芸ニュースVol.21.37 1953)
※2 工芸指導所の創設を語る 竹内可吉(工芸ニュースVol.17.2 1949)
※3 工藝の指導に直面して 國井喜太郎(工藝指導 No.1 1959)
※4 本邦工業の工芸的進展を望む 國井喜太郎(工芸ニュースVol.1.4 1932)

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